鴨川の河原も広く、今とは違う全く様子です

鴨川の河川敷も、以前は、河原町通を越して、新京極あたりまで広がっていたのだといいます。そうすると、三条がわらや六条河原のイメージが違ってきますよね。鴨川も今のように幅が狭くなくて、ずっと、広がっている川であたはずです。橋も長くないといけませんね。
牛若丸と弁慶の決闘も、今の五条大橋ではなく、松原橋だと言いますが、長さが短いので、戦うにもと思っていました。新京極まで川幅があったとすれば、十分、飛んだり走ったり出来たと思います。実際の橋の様子でドラマが欲しいですよね。
時代劇では、土地の形状があまり映し出されないので、その辺の注目してもらえると、また、見る人が増えるのかもしれません。
五条大橋もそうだし、そう考えると、京都の街はもっと狭くなっていたということです。狭いところに,貴族も武士も屋敷を構えていたのです。貴族の屋敷は一体、どのくらいの広さがあったのでしょうか。広いイメージがありますが、平等院のような広さはなかったでしょうね。